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デザインフェスタ vol.10 第63首 左京大夫道雅【後拾遺集】

こんにちは、おもいびとのやよいです。

今回は、前回vol.08でご紹介した“儀同三司母”の孫の切ない恋の歌を紹介します。


第63首 左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)992〜1054【後拾遺集】


『今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな』





【歌の意味】

今となっては、あなたへの想いをあきらめてしまおう、ということだけを、人づてにではなく(あなたに直接逢って)言う方法があってほしいものだ。


親の反対でもうあなたと出会うことができない。 作者は、今はただ、あなたへのこの想いをあきらめてしまいます、ということだけを、手紙や伝言ではなく、なんとかあなたに直接逢って言う方法がないものだろうかと苦しんでおります。 この歌は実話で、この歌の作者・藤原道雅と三条院の皇女・当子(とうし)内親王との秘密の恋のエピソードが残されています。

時の三条院の皇女・当子は伊勢神宮の斎宮の任を終えて、都に戻りました。その当子の元へ藤原道雅がひそかに通うようになります。当子は15歳ほど、道雅は24歳くらいでした。やがてその噂は父・三条院の耳に届き、院は激怒。当子に見張りの女房を付けて、道雅と逢わせないようにしました。

そこで恋愛を禁じられ悲しんだ道雅が詠んだ歌がこれです。



【作者の解説】

藤原道雅(ふじわらのみちまさ)。関白藤原道隆(みちたか)の孫で内大臣・藤原伊周(これちか)の息子です。幼い頃に父親が失脚、さらに24~5歳の頃にこの歌に描かれた恋愛事件によって三条院の怒りを買い、生涯不遇でした。従三位左京太夫となりましたが、『小右記』によれば、法師隆範を使って花山院女王を殺させたり、敦明親王雑色長を凌辱したりと乱行の噂が絶えなかったようで「悪三位」の呼称があります。



当時は、親に反対されてしまえば恋愛すらできないという苦しい時代だったのですね…。

悔しくて、名声も落ちて、悪三位といわれるような行動に至ったのも仕方のないことだったのかもしれません。

イラストは、歌から「諦め」という言葉を連想し、「情熱」「諦め」「独立」という花言葉を持つ、赤い「彼岸花」を持たせました。この歌にぴったりな花だと思いませんか?

もう好きな人に別れを告げることすら許されないという点から、口を覆うフェイスベールを付けています。

さらにキャラクターと歌を楽しんでいただけるように、今回は全身のキャラクターデザインもアップしました。

落ち着いた様子のデザインの中に、ゴツめのピアスやチェーンを合わせている理由や、他のポイントにも気づいていただけたら嬉しいです。

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