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第86首 西行法師(さいぎょうほうし)【千載集】

こんにちは、おもいびとの“ふみづき”です。


第86首 西行法師(さいぎょうほうし)


『嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな』




歌の解説

「嘆け」と言って、月が私を物思いにふけらせようとするのだろうか?いや、そうではない。(恋の悩みだというのに)月のせいだとばかりに流れる私の涙なのだよ。


西行はお坊さんでしたが、月と花を好んで歌に詠み、恋歌が多いことで知られます。 旅人の自由な心がそうさせたのか、闊達で大胆な歌が多く、現代でも通じるようなさっぱりとした心が感じられます。

この歌は「月前の恋」という題を与えられて詠んだ題詠です。 月を見ると、自然に涙が流れてくる。恋の悩みなのに月が嘆けと言っているようだ。そんな月のせいにして、うらめしげに流れる我が涙だなあ、というほどの意味でしょうか。 昔から、月は物思いにふけらせ、悲しみにくれさせてしまう何かがあるようです。日本ではお月見という行事がある一方で、月を見ることは忌むべきことだとの考え方もありました。 英語でも「ルナティック」は「気がふれた」という意味ですし、満月になると変身するオオカミ男の伝説もあります。 時には青く輝き、怪しい雰囲気をかもし出す月。 放浪を続けた西行は、そんな月を愛して月の歌を多く詠みました。鳥羽天皇の北面の武士(天皇を護る近衛兵)というエリート職を捨て、俗世を捨てた自分。それと日の光を見ることなく、いつも暗い夜空に輝いている月に相通じるものを感じたのかもしれません。



作者の解説

西行法師(さいぎょうほうし)1118~1190年

俗名を佐藤義清(のりきよ)。鳥羽上皇に北面の武士として仕えていましたが、23歳の時に家庭と職を捨てて出家、京都・嵯峨のあたりに庵をかまえ西行と号しました。

出家後は、陸奥(東北地方)や四国・中国などを旅して数々の歌を詠み、漂泊の歌人として知られます。歌集に「山家集」があり、また彼の一生は「西行物語」に詳しく語られています。




ふみづきからヒトコト

「月」夜空を見上げ月を見る時はありますか?毎日忙しい。良いことや、嫌なこと、辛いこと、色々ありますよね。夜が最も暗くなる前の三日月を描き、さらにまざまな感情を目で表しました。800年以上も前の西行法師も同じ月を見て歌を詠みました。時代は変わり文明が発展しても、「月」を見て物思いにふける。人の心はかわらないですね。先人に習い太陽で活動的になり月で心を休める。自然と共にバランスを保つ生活が現外人には必要何かもしれません。




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